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2010-02-13 (Sat) コラム
思い出は誰の脳にも住み着く幻覚の一種だ。変化の鋭い現実に対応できない過去の自分がそこにいる。その点でトラウマと大して変わりはない。しかも物理的に何の役にも立たない上に、現実の進行を遅らせる要因になりうる。なのにどうして思い出が肯定的に捉えられるかといえば、それなりの味わいがあるからだ。この文章も、せいぜいそんな風なものになるよう心がけようと思う。
高校の春休み、ちょっとした旅行に出た。一人旅だ。大阪、京都を回った。確か三泊四日だったと思う。いろんな場所に行き、いろんなものを見た。今でもいくらか覚えている。初めて降り立った大阪駅(すんごいわかりにくかった)で、さまよいながら高架線の下を通ったこととか、夕暮れ時に時間がなくて焦りながらモノレールで大阪大学まで行き、となりがエキスポランドだと知ったこととか。なぜ大阪大学に行ったかと言えば、関西の大学を見て回る、というのがその旅行の名目だったからだ(それで費用を頂戴したのだ)。
京都大学にも来た。大阪大学に行った翌々日の朝、体の半分はあるようなボストンバッグを担いで丸太町駅から歩いた。日差しが気持ちよかった。春休み中だったからか、学生はほとんど見かけなかった。東一条という交差点で、『京都大学 空手道』というジャージを着たランニング中の学生(丸坊主)とすれ違った。なんと言うか、少し「ふん!」と思った。曲がり角や道路際には大学生手製のきれいじゃない看板がたくさん立てかけてあった。ようやく大学に着いたときには、重いバッグのせいで汗をかいていた。大学は全体的にほのぼのした雰囲気である。僕は大学の、ある建物の鏡張りの壁に映った自分を見た。大学を見物に来た田舎の高校生丸出しだった。僕はそそくさと大学を出た。
思い出は、思い出すまでは死んだ記憶だ。そして思い出すのは多くの場合偶発的だ。どうして今これを思い出したんだろう?と気になるのはもっともだし、思い出の中身となった出来事は自分にとってなにか意味があるのだろうか?なんて考えるのも構わない。心理学生が好きそうな意味ならあるかもしれない。だが、全てはそれを味わった後のことだ。
僕がその旅行のことを思い出したのはいつのことだったか覚えていないが、三、四年はたっていた。僕は高校時代を忘れかけた田舎出身の大学生になっていた。ある日何かのきっかけで、その時の東一条が眩しかったことや、すれ違った空手部の人に自分がどう思われたか気にしていたことを思い出したのだ。僕はいきなりよみがえった記憶にいささかびっくりした。そして懐かしく思った。
いま自分の目に映る東一条は、あのときとはまったく違って見える。時の流れには逆らえない。なので、当時はなんとも思ってなかったけど、大学見物旅行はやはりありがたかった。おかげで大学に抱負を抱いた高校生の自分を、自分なりに保存することができたのだ。
時々、東一条の思い出は、勝手に僕のところにやってくる。僕はちょっとの間、手を休めて味わう。そして自分が少し遠くに来たことを実感するのだ。あの空手部員も今は、どこでどうしているものやら。